新大宮商店街の美しく改修された京町家
おしゃれなデザインの白い暖簾が人目を惹く
表のデジタルサイネージを見ても何のお店かミステリアス
森乃雫とは
樂歩京都は森乃雫という商品名の登山などで使用するマグカップ用のお湯の注ぎ口の工房兼応接室である。長さは4~5cmのチタン製の特徴的な造形と色彩の工芸品といっても良いような品物である。
コーヒードリップで曳きたての珈琲豆から美味しい珈琲を淹れるためには、適切な温度管理と珈琲豆を蒸らすために注ぐお湯の量と注ぐ角度(珈琲豆を散らさないように、上から真っすぐに糸を引くようにお湯を注ぐ)が肝心とのこと。
これを自在にコントールできるのが森乃雫である。しかも、造形が美しく、玉虫のような色彩も魅力的であり、小さくて軽量で持ち運びが容易である。山で美味しい珈琲を飲みたい人にはもちろん、工芸品のような存在で収集して手元で愛でる人にも好まれそうな品物である。
目の前で淹れていただいた珈琲は、淹れている最中のお湯の滴る音も心地よく、盛り上がるように泡が立つ。もちろん、香りも良くて、マイルドで酸味もなくわずかな苦みと甘みのバランスの良いものであった。豆は、鞍馬口通のガロさんで山口さん好みに焙煎してもらったもので、味が変わらないように小分けして冷凍保存しているとのこと。
これだけ、珈琲にこだわりを持つ山口さんが、趣味の登山で美味しく珈琲を飲みたい一心で色々と工夫した成果が森乃雫であり、店名の樂歩も、楽しく山を歩くというコンセプトから命名された。
多彩な職歴
山口氏は、現在の工房兼応接室から200mほどの所に住んでおられ、その実家は山口機業店という西陣の織元であった。25歳の時にご両親と相談の上で事業を閉じることとする。その後、友人の紹介で京都の半導体企業に就職することになる。
そして、山口さんが45歳くらいの時に、マレーシアの半導体工場の社長となって赴任する。11年ぐらい経過した2012年頃に工場が売却されることになり日本に戻ることになる。しかしながら戻ってきた日本の工場も閉鎖することとなり、リストラの完了した2014年に57歳で早期退職することとなる。
紆余曲折の職業人生であったが、実家の事業といい、半導体工場といい、ずっとモノづくりの世界に身を置いてきており、今日の森乃雫を製作する下地はそこにあったのではないかと思わせる。
森乃雫の誕生まで
早期退職後、やることが無いのでしばらくぶらぶらしていたが、退職して3年も経つとそれも飽きてきたので、2017年くらいから関西の近郊の山に登ることとした。そこで、出会ったお年寄りたちが、山頂で珈琲をドリップで淹れて楽しんでいる様子を見る。それまで、特に珈琲にこだわりはなかったので、なんでわざわざ珈琲を淹れているのかと尋ねると「なんでやな、これやから美味しいのやないか」という返事であった。それで、自分もやってみようと、最初はインスタント、次にドリップパック、最終的には山に珈琲豆とコーヒードリップを持参して豆を挽いて飲むようになった。そうなるとモノづくりの魂に火が付いて、美味しい珈琲の入れ方を追求するようになる。気が付くと山で淹れる珈琲の道具が増えて、荷物が重たくなってきた。
それで、マグカップとドリッパーだけで、お湯を零しながら入れて飲むようになったが、何か良いものはないかといろいろと工夫するようになった。
最初は、マグカップの上に割り箸を乗せて、使ってみた。そうすると零れなくなったが、お湯が真っすぐ下に落ちないで前に飛んで行ってしまうので、珈琲豆の蒸らしがうまくいかない。そこで、割り箸に爪楊枝を挟んでみると、お湯が適当にポタポタと下に落ちてくれるので具合が良かった。
ここでもモノづくりの魂がうごめき始める、もっと良いものはないかと考えるようになった。そして、その道具を考えるために山に行くようになった。少し天気が良いと大文字の火床に座って、ああでもないか、こうでもないかと考えたり、プラスチック素材で試作したりするようになり、2年ほど経過した。山に行くとほぼ一日中考えていた。最終的に注ぎ口の中を工夫して水量を調整しつつ、お湯が真下に落ちる仕掛けを考えることができた。これでできたと思っていたが、プラスチックを接着剤で止めて作っていたので、部品が剥がれ落ちてくる。それで、金属でできないかと考えて、最終のこの形に収まった。それが2018年の秋であった。この話の途中で、次々と試作品を出してくれたり、工夫した仕掛けと性能を解説して頂いた、その時の山口さんの表情は嬉々としており、聞いているこちらも楽しくなってくる。
そして最終形を図面にしてもらうときに、美しい造形を意識して黄金比と黄金螺旋を採用し、だれが見てもハッと目を引くデザインとした。性能的には、一秒間に2mlから最大5mlまでコントロールできる注ぎ口となった。また、鏡面に磨き上げただけでなく、その表面を陽極酸化膜処理により、青を基調としながら瑠璃色の色彩で仕上げられた森乃雫は、山口さんのこれまでの仕事や経験から蓄積された美意識と工学的な知識と関心が集約された製品となっている。
趣味から事業へ
改良の余地はまだあったが、完成品ができる前の2018年1月ごろに独学で特許の申請書を書きはじめ、2018年の秋に京都府知財総合支援室に相談に行った。行くと、完成形を待たずにすぐに特許をとった方が良いというアドバイスで特許をとることにする。自力で特許を取りたいという熱意に、顧問の先生が対応していただき、作成した文章を週に一度2時間指導して頂けることになった。4か月ほど毎週、熱心に指導して頂き、2019年1月に特許庁に提出し、一度だけ再審査となったが、審査官の適切な指導で4月の連休前に特許が交付された。
特許の申請と並行して図面作成をしており、その年の夏頃に図面をもとに3Dプリンターでチタン製の注ぎ口を完成させることができた。その後、商品化に向けた細部の詰めやネット決済の手続きを終えて2019年11月15日にネット販売を始める。
一方で、特許が交付されたので、3年前から取り組んでいたブログに世界で初めてのマグ用の注ぎ口ができたと掲載すると、初めてコメントが入った。制作に要した諸費用を負担しても良いので世界で唯一の注ぎ口が欲しいというものだった。素材の発注分だけいただくことにした。それまでは売る気はなく、自分用に一つだけ製作していた。その一つを売るために、銀行振り込みではなく、ネット販売に挑戦したいと思い、その一つを売るためだけに自らホームページを作成してネット決済で売ることにした。
その時、1つだけ作ったのでは高くつくので10個作って、そのうちの一つをその人に販売した残りも売ろうかということで、webで11月15日から販売するということを公表する。マイナーな商品で価格も1万数千円以上もするので月に2~3個売れたら良い。家で手と頭を動かしているとボケ防止になるだろうと思っていたところが、オープンと同時に全て売れてしまった。手作りなので、一日に一個製作することが精いっぱいなところに、いつまでも待つという注文のメールがどんどんと入ってきて大変だった。そこで、予約販売にすると、3~4か月先まで注文が入ってきた。
作業場兼応接室の確保
当初は、自宅の玄関先で、わずかな道具で作業をしていたので、夜中までかかって月に30個程度の製作が限度であった。しかし、作業に慣れてくると同時に良い道具に変えると、夜中まで作業をしなくても月に100個程度作ることができるようになる。
けれども、研磨作業をすると細かい埃が舞って2階の部屋も真黒く汚れるので、妻に家で作業をすることは止めて欲しいといわれて工房兼応接室を家の近場で探し始める。
最初は、御園橋通の辺りに近々お店を閉める店舗があったので、そこにしようか迷っていた。その店が2020年10月に空き店舗になったが、すぐに飛びつくのもいかがかという思いから、年明けまで待つこととし、2021年1月半ばになって中を見せてもらったけどもしっくりこなかった。平行して今宮通の辺りでも探しており、フラットエージェンシーが仲介している空き店舗があったが躊躇していると、担当者から、急いでいないのであればということで、まだ、営業中であったこの店を紹介してもらった。家にも近く、条件も希望どおりだったので、この店に決め2021年3月に入居した。
これからの樂歩京都
それから、若い人に手伝ってもらいながら頑張って製作し、何とか2~3か月待ちくらいでお客様に製品を提供していた。
そうこうするうちに2022年5月くらいから中国でコピーが出回りだし、値段も安かったのでずいぶんと売れているようだった。けれども、それを使った人が製品に満足できず、やはり森乃雫が欲しいという人が増えてきている。良い広告になったようだ。
今年に入ってからは、ゆっくりしようと決めた。時々、遠方からこの工房を見たいとお客様が来られるが、一日中でも時間を空けてお話しするようにした。お庭で珈琲を提供しながらお弁当を食べながら、余裕を持って仕事をするようにしている。それでも、商品は2~3か月待ちの状況である。しばらく辞めていた登山やキャンプも復活させている。
そして久しぶりの登山の時にドリップバックを使ってみると、ドリップバックがお湯に浸って珈琲が苦くなることに気付いて、どうにかならないかと考えるようになった。そして、直径0.5mmにもならない細いステンレス線を使って折りたたむことができるドリップバックリフトを考案し、可愛らしい袋に入れて製品化する。
登山とソロキャンプから発想を得ながら、どこまでもモノづくりの魂を持つ工夫の人であり、究極の趣味人である。
ショップロゴの「Catch ones eye」とは、「目を引く」、「山の景色が記憶に留まる」、「山中で森乃雫を使って飲んだ美味しい珈琲の味を記憶に留まる」という意味を込めているとのことで、山口さんの思いが込められている。
アジアから欧米まで海外のお客様も多く、また、登山や珈琲を通じてできた知り合いも多く、時々、自分で引いた豆を持参して訪ねてくれたり、不思議の製品の話をしに来てくれたり、たくさんの人とのつながりができたことを素直に喜ぶ山口さんであった。生涯現役を全うして、これからも新しい商品が開発されることが待たれる。