ひっそりと静かな紫野の路地の4軒長屋でバイタリティ一いっぱいの深村さんが
次々とあふれ出る新規事業に取り組む

本業は?

お話を聞くまで、最近、京都に移転してきて、西陣の職人に触発されて、西陣織のジーンズを企画販売しようとしているユニークなデザイナーだと思っていた。ところが、事業の9割は、南米はペルーを原産とするマカを主成分とするサプリメントの原料輸入卸、製造販売、OEM供給をする事業で、20年前に始めたとのこと。工場は九州、営業は東京。聞けば、若い時分に南米を歩いていてマカに係る人脈が出来たという地球を歩く人だった。その後、2003年には富士山登山ガイドとなり、夏期の2ヶ月間、20~30回の富士登山ガイドを現在も継続中。この時点で既に十分マルチ人間である。

そして京都へ、八つ橋屋を目指す

2013年、富士登山ガイドで知り合った京都の八つ橋屋さんの話を聞き、京都で八つ橋の製造販売をするべく、京都に会社を移し、その後、社名を京都深村に変更する。その際、菓子を製造しながら住むのに適した場所として、ものづくりに馴染みがあり、暮らしやすい紫野の路地に面する4軒長屋の2軒続きの町家の紹介を受け、入居を決める。

八つ橋からNISHIJEANSへ

しかしながら、八つ橋製造はスムーズに進まず、時間をかけながら問題解決を目指すこととする。その間、お町内の西陣の職人さんの触発を受けて西陣織のデザインを手掛けることとする。デザインについてはサプリメントのパーケージデザインで馴染みがある。その際、高山寺の住職と親交ができ、鳥獣戯画図の使用許可をいただくこととなる。これも、京都に来て1年余りの電光石火の早業である。帯や小物に絵を写し、ついには富士登山Tシャツにも写して評判となる。極めつけは、西陣織でジーンズを造ったら面白いのではないかと思いつき、広幅の西陣織織機を持つ工房、岡山は児島のジーンズ製造会社と共同して、NISHIJEANSを開発、試作までこぎ着ける。現在は、販路開拓中である。

再びの八つ橋から次なるチャレンジへ

そうこうする内に、八つ橋製造にも目処が付き、現在は、会社工房でドラヤキと生八つ橋を組み合わせた新製品の製造準備中であり、まもなく世の中に登場するとのこと。深村氏のチャレンジ精神はこれで終わらない。この1年間、一番熱中しているのは、動物、ハート型、絵馬など様々な形のグリーティングカードに合わせた動物、ハート型、絵馬の形の異形封筒(京都玉手紙)の企画、デザイン、製造、販売である。新案特許の出願の終了し、各種キャラクターメーカーとのコラボや、社寺とのコラボを模索している。しばらくお会いしないと、業態が追加されている。紫野の器に収まらなくなることを予感させるが、京都深村の業態に相応しい本拠地であって欲しい。