赤と青のラインが目を引く北大路堀川のランドマーク
昭和レトロな純喫茶
常連さんと若い旅人の交わる空間

初代こだわりの建築

今から57年前、昭和41年に現オーナーがこだわって建築した純喫茶であり、100席の大箱である。オーナー自身が初代の店主として経営にあたる。当時30代のオーナーは喫茶店経営を希望しており、いろいろと見て回り、研究を重ねて建築されたとのことで、店への思い入れは強い。

ベロア地の椅子の生地、天井の梁型に刻んだ翡翠の文様、垂木状の天井意匠、壁面の内側にガラス窓に設けたり、照明にも大いにこだわっている。看板も店主のデザインとのことである。

岡田さんが店を継ぐときも、店のメニューは変えても良いが、店の意匠の変更だけはしないということが唯一の条件であったという。椅子のベロア地も製造元を探し当てて、張替えをしながら、意匠の保存に努めている。

ただし、オーナーの話では、当初は外壁の赤と青のラインは入っておらず、2代目か3代目の方が入れられたとのこと。入口に設置している柱にももう少し西洋の神殿の柱のように意匠が施されていたが、風雨により劣化してきたので撤去するなどの改変はあったという。翡翠と名付けた理由は不明とのこと。

突然の申し出

岡田さんは、4代目であるが、初代からの血縁関係は無いという。2代目も3代目も初代との血縁は無いとのことであり、お客さんであったり、知り合いであったりした。

老舗の喫茶店が店をたたむタイミングで常連さんが、申し出て後を継ぐということは珍しくないが、岡田さんの場合は、縁としか言いようがない継承のドラマであった。

当時、岡田さんはガスの検針員として毎月、翡翠を訪れており、3代目とは「こんにちは」「今日も暑いですね」「ではまた、来月」程度の会話をするくらいで、店内に入ることもなく厨房の中にあるガスメーターの検針をして帰っていた。

あるとき、3代目が体を悪くされてして休んでおられていたことがあったので気になっていた。次の月に検針に行った検針員から、体調を崩して入院していたが、既に退院されており、私のことを気にしていたと聞いた。そこで仕事帰りに、初めて翡翠の店に入って食事をし、3代目の体調を尋ねた。

その時に「自分は体調が悪いので継いでくれる人を探しているが、なかなか見つからない。岡田さんやらへんか」と突然の申し出があった。

「私が?何故?」というはてなマークだらけになった。

家族の後押しで4代目となる

経験もないので、断ったが「僕が教えてあげるから」と重ねての申し出があったので持ち帰って検討することとした。

当時、ガス検針の仕事は、体力を使うハードな仕事であり年齢的にきつくなっていること。また、IT化が進むと検針員の仕事がなくなるのではないかという思いもあり、転職をすることが頭をよぎっていた。

それで、家族に相談すると、高校生だった娘は「やったらいいやん」と勧めてくれた。ご主人も「やったことないけど面白そうだ。わくわくするよな」と言ってくれた。けれども、経営なんて良いことばかりでもないだろうし、失敗するリスクもあるので、冷静な意見を言ってくれる友人に相談してみた。ところが「家族がいいといってくれているんだったらやったら」「友達が喫茶店やってくれていたら嬉しいし、やって」「良いのと違う。やってみたら。喫茶店のママが似合ってそうだ」という意見ばかりで「もう少ししっかり考えた方がええで」という意見の友人はいなかった。概ねやると決めてから珈琲が好きな両親には、話をすると母親も父親も「最初はメニューを減らしてやったら」と後押しをしてくれた。

3代目も次の人を急いで探していたので、「いつまでも悩んでいられないな」「こういうのって縁やな」「もし自分があかんかった誰か探せばいい」と思って、引き受けることとした。それが6年前のことである。

無我夢中の1年間

3代目は、1年間サポートしてくれるという約束だったが、病気が進んで、結局3か月で、来られなくなった。

当時、店は年中無休で経営していたので、いったん閉めることもなく通常どおり店を開いて3代目に教えてもらいながら仕事を覚えていった。けれども3代目が来れなくなってからは、必死だった。前からいるスタッフのサポートや自分でいろいろ勉強しながら、何とか1年間を乗り越えていった。

メニューについても、減らすことなく、味も基本的に変えなかった。少し自分好みにアレンジしたり、作業効率が良いように段取りを変えたり、材料の無駄が出ないように主婦の知恵で工夫をした。

厨房に入り、材料の仕入れから仕込み・調理までやりながら、人事・労務・経理とこれまで見たことも聞いたことも無いような仕事も、いろいろな人の助けを借りながら無我夢中で取り組んだ。

ここまで、話をお聞きして来て、岡田さんに白羽の矢が立った理由が少しだけわかったような気持になった。気さくで、頑張り屋、かざらない性格でチャーミングな方であり、お客様を相手とする商売に必要な資質を備えられている方である。  普通に考えたら、まったく経験のない人が、100名の大箱の喫茶店を多くのスタッフと共い商売を継続していくことは並大抵のことではない。3代目は、直感的にその資質を見抜いたのかもしれない。

これからの翡翠

最近は、若いお客様が増えてきている。純喫茶巡りをしているような人も来られる。他府県から京都の純喫茶巡りの来られる方もいらっしゃる。有名どころと並んでSNSで発信してくれているので有難いことであるとのこと。

最初は無我夢中で必死で取り組み、月に一度しか休みがなかったが、この6年間、楽しく仕事ができていた。

今は、いろいろと見えてきて、楽しいばかりではなくいろいろと考えなければいけないこともあるけれども楽しい。岡田さんの知人・友人が時々訪ねて来てくれて、翡翠で再会できたりすることが嬉しかったりする。

スタッフは学生のアルバイトと主婦であり、引き継ぐときには、これまでのスタッフでスタートした。今では、学生の卒業に合わせて新しいスタッフを面接しながら入れ替えている。コロナまでは、大学のジャズ研究会の先輩から後輩に引き継がれたが、コロナでそれが途切れて、新しく募集している。

スタッフ、お客さんに限らず、人との出会いが喜びとなっている。そして、常連さんに限らず、翡翠が好きと言ってくれるお客様が多いので、そのお客様のためにもこのままの翡翠であり続けたいと思っている。

そして継続していくために、スタッフが働きやすい環境を整えている。営業時間も3代目の時よりは時間を短縮している。1年間は年中無休で営業していたが、2年目からは年末は休みを取るようにした。年始はお正月で集まった親戚の人とお店に来られるお客様がいらっしゃるので休めない。スタッフの確保が出来なくて今年の八月から火曜日を定休日にした。人が確保できたら定休日をなくそうと思っている。ローテーションを組んで全員、週に2日は休めるようにしている。

娘さんも、卒業後はしばらくご自身のやりたいことに取り組まれるとのことであるが、翡翠の仕事も厨房もホールもできるようになっているとのことで、次の担い手としての可能性を認めておられる。

創業100年を目指して継続されることが期待される。