鞍馬口通りに全面グレーの二階建ての建物が目を引く

窓もなく、小さな入り口が洞窟のようにぽっかりと空いている

そこは美の愉悦の回廊。引力に導かれ、その魔力に気づいた者だけが引き込まれる

ギャラリーABRI(アブリ)

ギャラリーは2024年1月15日に鞍馬口通にオープンした半プライベートな空間である。外観は、まったく窓のない全てグレーの壁で覆われたシンプルでモダンな佇まい。入り口は人一人がやっと通れるほどの小ささで、ほとんどの人が気づかずに通り過ぎていく。

主宰者の夜野悠氏によると、半世紀にわたって蒐集した作品や書物などのコレクションをさまざまなテーマと独自の視点で展示するほか、多彩なイベントを開催する営利にとらわれない私設のギャラリーである。人生の最終コーナーを迎え、「好きなことだけをする。会いたい人だけにしか会わない」という、夜野哲学の実験と実践の場でもある。

ギャラリーの名前「アトリエABRI」はフランス語で「隠れ家」の意味。夜野氏の実験的なアート空間やイベントになにかシンパシーを感じてもらえる人に来ていただけたらうれしいと話す。まるで茶室の躙口(にじりぐち)のような小さな入口が程よいフィルターとなり、ちょっとした勇気と好奇心を持ち、夜野悠の世界に共感する通りすがりの人を引き寄せるという仕掛け。京都に住んで約十一年、その間に知り合った人も沢山いるが、ここでは全く新しい人たちと出会いたいと思い、以前のSNSアカウントでの発信はしていない。まったくの通りすがりの人、口コミだけでの来場者との一期一会の出会いが楽しみという。

オープン時の初めての展覧会は、2013年に夜野氏がキューバのハバナで撮影した写真展(2m大のモノクロームの布幕写真とモノクロムービーを展示)を開催。この写真展にはいわくがある。トロントから十日間の日程でカナダ人の友人と一緒にキューバに行ったものの、行ってすぐに猛烈な食中毒になり、1週間近く寝込み、残された滞在期間はわずか三日間。幻覚が見えるほどのひどい病状で観光気分は吹き飛び、精神は完全にリセット。もう二度と来ることができないと思い、ハバナの裏街を早朝から深夜まで夢遊病者のように徘徊し、観光のため持参したコンパクトカメラ一台で写真と動画を撮影した。いつの間にか写真を撮っている(何ものかにに撮らされている)という自己不在の半ば「無」の状態だったという。気づくと二千枚くらいの写真と十数本の動画を撮っていた。

四月から五月末にかけて、夜野氏の海外や国内で撮影した写真と蒐集品の中から、子どもの写真と絵本をテーマにした「せかいのこどものしゃしんとえほん展」を開催。絵本は海外滞在中に集めた珍しいチェコの絵本や初期の横尾忠則と宇野亜喜良共作の絵本「海の小娘」など希少な絵本も展示されている。

夜野氏のコレクションはシュルレアリスムを中心に幅広く、実験音楽や現代音楽、フリージャズなどのレコード、蓄音機やSP盤、内外で集めた七千冊近くの書籍があるという。今後、コレクションの中からテーマを自由に選び出し様々なテーマの展覧会の企画を考えている。夜野氏は「このギャラリー空間こそが、ひとつの自分の『作品』なのだ」という。これからどんな『作品』がこの空間から生み出されてゆくのか楽しみである。

夜野悠氏の「Wikipedia」

1969年、学生運動の時代、東京の大学に入学、精神科医で作家の加賀乙彦氏から精神医学を学び、池袋はずれの三畳一間の下宿で五年も貧乏暮らし。岩波文庫の赤、青、黄、緑帯に始まり、ランボーやボードレール、ドストエフスキー全集を読みふけり、読書に倦むと、たまに大学に行ってデモに参加し、ジャズ喫茶に入り浸る。また、池袋文芸座地下や京橋フィルムセンターで古い欧州映画などを年に三百本も観ていた。神保町や高田馬場の古書店街には日々通った。しかし、「昭和」という最高に面白いオペラの最前列のプラチナチケットを持ちながら時代に背を向け下宿に引き籠り、同時代のライブ感を存分に味わわなかったことが悔やまれるという。瀧口修造、武満徹、天井桟敷の寺山修司、赤テントの唐十郎、舞踏の土方巽、写真家の森山大道や中平卓馬、タージマハル旅行団の実験音楽家小杉武久…etc。当時はシュルレアリスムや、昭和のアンダーグラウンド文化の坩堝から遠く隔たっていた。

ジャン・ポール・ラクロワの「出世をしない秘訣」とポール・ラファルグの「怠ける権利」が夜野氏の当時の愛読書。パリで生を終えた「出世をしない秘訣」の訳者椎名其二は究極の自由人、「自分自身に成功すること」「組織に埋没せず個を貫くこと」という姿勢に感銘を受ける。

大学を卒業後はマスコミの世界へ。九州、東北、本社と各地を転々。本社の経済部時代には北朝鮮への単独取材も。

仕事の合間を見ては国内外の古書店巡りをし、古書や写真集などを蒐集する一方、ストリートフォトなどの写真撮影に熱中していた。仙台時代には超マニアックなレコード屋を見つけ、自分の知らなかったフリージャズや現代音楽、日本のアンダーグラウンドミュージックなどに出会った。2003年、五十三歳のときに早期退職を決断した後は、東京の阿佐ヶ谷に居を構え「遊民」の生活を送る。シュルレアリスム研究者で当時明治学院大学の巌谷國士先生に無理を承知でお願いし、部外者ながら大学院、4年生のゼミ、3年生のフランス語の授業、海外ゼミにも参加、三年間皆勤賞で続けた。シュルレアリスムの創始者アンドレ・ブルトン、日本のシュルレアリストで詩人の瀧口修造、コラージュで知られるマックス・エルンスト、チェコの女性シュルレアリストのトワイヤン、ブルトンに見いだされたスウェーデンの画家スワンベリ、写真家アジェらに傾倒しシュルアリスムの世界にのめりこんでいったのもこのころ。

2005年には、フジテレビギャラリーで個展をしていたパリ在住のシュルレアリスムの画家平沢淑子氏と出会い意気投合、直後にフランス・ボルドーで開催された平沢淑子展に一緒に出掛け、展覧会の手伝いなどをした。

2011年3月11日。東日本大震災に遭遇。福島原発事故で放射性雲(プルーム)が東京方面にも流れ込む可能性から、アパートに全てを残したまま、3月15日に羽田から福岡に飛び、韓国経由でパリに行ってから3年間海外を遍歴することになる。パリ、ミュンヘン、バルセロナ、ロンドン、そしてモントリオールで半年過ごした後、最後の二年間はパリ7区の屋根裏部屋で過ごすことになる。途中、モロッコに二か月滞在。この間の夜野氏のシュルレアリスムとの蜜月の様子は、web上のギャラリー「ときの忘れもの」に連載された「夜野悠のエッセイ『書斎の漂流物』」に詳しい。

2013年、三年間の海外渡航後、京都へ。西院の京都の町家で、実験映画を見る会や世界中の珍しい写真集を見る会、現代音楽や実験音楽を楽しむ会など文化サロンを開催。

2015年、京都国際写真祭KYOTOGRAPHIE KG+で「古巴(キューバ) モノクロームの午後」を開催。この個展は2017年にミュンヘン、2019年に逗子にも巡回した。その後左京区の家を経て北区へ。「ABRI」のスペースを偶然見つけ、念願のギャラリーをオープンした。

ギャラリーの今後

今年はシュルレアリスム宣言から100年。それを記念して日本や海外で展覧会やイベントが開催されるが、秋ごろには自らのコレクションを中心に自分なりの視点でシュルレアリスム100年展を計画している。

夜野氏は電子楽器も演奏する。昨夏にモントリオールのメトロの駅で路上演奏にチャレンジ。バロックからジャズなどの曲を演奏すると、アーティストへの愛情とリスペクトを持っているモントリオールの人たちから「(街に音楽を溢れさせ)演奏してくれてありがとう」と声をかけてもらい、たくさんのチップをいただいたという。ギャラリーでもミニ演奏会のようなものができればと話す。

夜野氏の悩みはコレクションの行く末。蒐集品を世に残していくことはなかなか容易ではない。日本ではサザビーズなど海外のように美術品やコレクションなどのオークション市場が十分成熟しておらず、作品や稀少な書物や資料をきちんと評価して次の人に継承していくという文化が育っていない。夜野氏は「自分のコピーのような人がいたら、後継者としてそっくり引き継いでもらえるのに」と冗談交じりに語っていた。

施設情報

ギャラリーABRI(アブリ)

〒603-8223

京都市北区紫野東藤ノ森町6-17

営業時間:平日不定休 土、日(14:00~18:30)