総神社は、總神社天満宮ともいい、山城の国一之宮 賀茂別雷神社(上賀茂神社)境外三十八社の一つである。

創祀の詳細は不明だが、白鳳年間(678年)に始まったといわれている。

祭神は天照大神の御子の天穂日命(アメノホヒノミコト)、八幡大神(第15代応神天皇ハチマンオオカミ)、天満大神(菅原道真テンマノオオカミ)、源義朝神霊(ミナモトヨシトモノシンレイ)の4柱である。

賀茂御読経所聖神寺(カモオンドキョウショセイシンジ)の鎮守社として、社僧が学問向上を願って崇敬した。

鎮座地の紫竹は源氏とのゆかりの深い土地で、当社の北隣に源義朝の別邸があったとされ、源氏の守護神八幡大神を合祀した。源義朝の妾、常磐御前が別邸の西にあった常盤第で牛若丸を出産したと伝えられる。そのゆかりから、古図ではこの周辺を「常磐の森」と記している。近くには、「牛若丸誕生井・源義経産湯井・胞衣塚」の遺跡が残り、地名も牛若町となっている。

また、古来、菅原氏が当社の宮守をしてきたことから「菅宿坊天神(カンシュクボウテンジン」と称し、菅原道真が筑紫へ左遷の際、巫女として奉仕していた叔母に別れを告げるために、当社に一泊したとも伝えられる。

毎年4月第2日曜に行われる「やすらい祭」では、上野・川上とニ社のやすらいが、当社を参拝後今宮神社(紫野今宮町)へ参るのが習しとなっている。例祭は、10月23日前後の日曜に行われる。

現在、神官は常住しておらず、祭りの際には西賀茂大将軍神社から派遣されている。

御神殿の築年数は不詳であるが、内外の彫刻の様式や明治27年に耐用年数が屋内で300年といわれ屋根の檜皮を吹き替えたことなどから江戸時代の初期ではないかといわれている。

その彫刻であるが、正面棟木下に龍が、四隅の桁先と梁先には像と獅子頭が、軒下には舞鶴と雲が彫られ、御神殿内部の両側に姿獅子が、後方正面の板壁の左右に獅子が千丈の谷に子を落と場面と這い上がる子を迎える場面が彫られている。これらは総神社が子育てや人づくりのための教育や信仰の社であったことを伺わせる。