堀川通北大路を少し上がると

ソースの自動販売機がある

京都にソース工場?

ヒロタソースの創業

ヒロタソースは、昭和15年に徳久氏の祖父 徳七氏が15歳の時に兄と一緒に創業する。戦中戦後期には北陸や大陸向けにもソースを製造し、二条駅から鉄道で舞鶴や敦賀を経由し北陸、さらには海運で大陸に運ぶ。

そういう経緯で、北陸の福井、石川、富山には、ヒロタソースの味に馴染みのある方が多い。京都のソース屋とは縁もゆかりもなさそうに見えるが、北陸のスーパーに卸すと「なぜだか売れる、何故だろう」となる。実は、子供の頃に食べたソースの記憶が残っているからとしか考えられない。

言い伝えによると、廣田家は渡来系の秦氏について移動をしており、西宮の廣田神社がルーツであるとのこと。そして、近代には、近江上布(麻布)の一大産地であった滋賀県の五箇荘町で、大阪や京都に麻布を売るという商いをしており、京都との縁があった。そのため、京都でも事業をやろうということで京都に出てきたとのこと。今でも廣田という姓で織物関係のお仕事をされている家は、ルーツは同じだと思われる。

当初は、麻布関係の仕事をしていたが、祖父の兄が大阪に丁稚奉公に出た際に、ソースで出会う。日本のソースの始まりと言われているイカリソースが大阪で事業をしているときであった。これは京都でも行けるのではないかということで、その製法を京都に持ち帰り、ソースづくりを始めた。

京都のソース文化

京都でソースを作っていることは意外に思えるが、京都府下でソース製造をしている会社は6社あるとのこと。京都は薄口の食文化と言われるが、京都人の素顔は濃いもの好きであるとのこと。京料理も出汁の文化と言われているが、結構塩分をふくんでしっかりとした味である。そういうことが祖父もわかっていたので、大阪で流行るのであれば京都でも絶対に商売になると思っていた。当時、京都にも洋食の店が増えてきたので、ソースもその流れに乗って伸びていった。

その後、終戦を迎えると一銭洋食やお好み焼が売れるようになり、それに合わせてソースも売れていった。濃いもの好きの京都人の口に合ったようで、当時、京都にはソース製造業者が沢山あったとのこと。ほとんど空襲がなかったので、製造工場を作る空間が確保できたので、大阪のソース需要にも応えていった。

総務省の家計消費状況調査によると、世帯当たりのソースの消費金額では、京都は全国でもトップ5に入ることがあるほどの一大消費地であることはあまり知られていない。加えて、京都は調味料にお金を使う食文化があるので、あの粉もん文化の大阪よりも金額では上位にくるとのこと。おかげでヒロタソースも決して安くないが、京都市内のスーパーでは良く売れている。

ソースの商品開発

創業当時は、イギリス発祥のウスターソースの一品だけであった。それが洋食の発達とともに、ソースの種類も増えていった。カツレツが出てくればそれに合うソースを、お好み焼が出てくればそれに合うソースをという具合に、日本風にアレンジして、現在のように多様な種類のソースができてきた。とんかつソース、焼きそばソース、お好み焼ソース、串カツ用の2倍希釈して使うソース、究極は生キャベツ専用のソースもあり、人気があるとのこと。さらに、特注ソースと言って、そのお店だけに調合したソースも製造している。

もともと、大阪でソースに出会ったこともあり、大阪にもお客様が非常に多く、串カツやタコ焼き用のソースに関するノウハウも持っている。

飲食店とダイレクトに取引をする機会が多いメーカーである。現場の声を聴いて商品を製造していくという流れが、ヒロタソースにとっては、当たり前のことになっており、商品開発力には自信がある。

販売先に合わせた多品種少量生産

プロの料理人さんが主なお客様である。スーパーで販売しているのは一部とのこと。そのスーパーも主に京都の地場のスーパーで、全国大手のスーパーとは取引をしていない。京都で育ってきたソース屋なので、京都のお客様と仕事ができればそれでよい。少しオーバーに言うと、京都のためのソース屋であろうとしている。

地元のお客様を大事にしていかないとヒロタソースとしても存続していかないのではないかと考えている。「味と京都と共に歩んでいかないと、何をやっているのかわからなくなる」という発言には重みがある。

北陸方面ではご縁のあるスーパーに卸して、昔、ヒロタソースになじんだお客さんが懐かしく買っていただいている。大阪のミナミ、難波界隈の多くのたこ焼き・お好み焼き屋さんでも、京都のヒロタのソースを使っていただいている。

ソースの自動販売機

コロナ禍の時に、人との接触を減らす必要があり、自動販売機を思いつく。道行く人もソース屋さんが珍しいので、入ってみたいと思っておられる方が多いようだけれども、なかなか入りにくかったり、コロナ禍の時には人との接触を避けて入られなくなった。自動販売機があれば、どんなソースを作っているかわかっていただけるし、会社に入ることなく購入していただける。

工場なので、元々、小売りはしていなかったが、飲食店さんは買いに来られる。それを見ていた近所の方が、小売りをしてもらえると思って、恐る恐る入ってこられるようになり、徐々に増えてきた。事務員一人が仕事の間に対応しているのでお待たせすることもあり、自動販売機をやりたいなと思っていた時に、コロナ禍に後押しされた。

京都に根差した事業展開

2006年頃に「カレー名人のウスターソース」というカレーライス専用のソースを販売した時に、テレビ局が一斉に取材にきた。毎日放送の土曜日にやっていた「しっとこ」という全国の調味料のランキングをする番組で第1位に選んでいただいて、電話回線がパンクするという経験をする。そこで京都のヒロタソースを認知していただいた。おかげさまでお客様も増えた。そのあたりから会社に買い求めに来られるようになった。何度か観光バスが
堀川通に停まった時には困った。

そこで全国展開という声もあったが、やはり京都を中心とする関西にとどまる決断をした。一方で、関西圏のスーパーさんに認知が進んだことは良かったと考えている。

京都ブランドづくり

徳久氏は京都の大学を卒業後、東京の外資系の製薬会社で勤務をする。半年ほどで京都に転勤になり、6,7年勤務を継続する。ヒロタソースを継ぐつもりはなかったが、祖父の説得により、ヒロタソースに入ることになる。

しかしながら、「京都人好みの美味しいソースを京都で作る」というポリーシーは変わることはない。ヒロタソースから京都を取ったら何も残らないと考えている。京都に会社があることによって、味のベースが決まってくる。徳久氏自身が京都で暮らし、京都の味で育ち、京都人の舌になっているからであるとのこと。

徳久氏は京都の外から京都を見た経験があるので、高級な料亭が提供するような薄味の素材の味を大切にするものだけが京都人好みの味ではないと考えている。京都人は実は濃い旨好き、濃くて旨いものが好きであるとのこと。こうした、いわゆる京都ではなく、京都人の京都人たる味を発信していくことも面白いと考えている。そのためには、京都人が自ら、自分たちは濃い旨い味が好きだということを認知する必要がある。それを胸を張って言えるようにしていかなければならない。

他の地方の人は、地元を誇りに思っているし、それをちゃんと表現しているが京都人はあまり京都のことを好きだとか誇りに思うとは口に出して言わない。そういう状況を打開して、ちゃんと京都の味を誇りに思ってもらおうと思って、徳久氏の発案でいろいろな取り組みをしている。それが「京都やきそば」の活動である。「濃くて旨い。京都の味は『恋旨』ソース仕立て」として、京都発のB級グルメとして発信する活動を展開している。恋旨と書いているが、薄味が好きだと言われている京都人は実は濃くて旨いものに恋焦がれているということを表現している。京都焼きそばの味は麺でなくソースで決まる。その一環で、毎年「KYOTO Yaki SOBA FESTA」に参画している。

京都市内には京都の人たちが胸張って言えるB級グルメが無いが、せっかく豊かな粉もん文化があるのだから、他府県と比べるとしっかり目、濃い旨の京都やきそばの味をしっかりアピールしていこうということで取り組んでいる。

まさに京都人による京都人のためのソース屋である。最近は地元の活性化のために「北大路ステーキソース」を販売している。

基本情報

■ヒロタソース株式会社

  • 住所   〒603-8175 京都市北区紫野下鳥田町2番地
  • 電話   075-491-0409
  • 交通   京都市バス「北大路堀川」より徒歩4分
  • 定休日  土曜、日曜、祝日(夏季及び年末年始休暇日)(最新情報はHPよりご確認ください)
  • 営業時間 9:00~17:00(最新情報はHPよりご確認ください)
  • URL   https://hirotasauce.com/