旧街道の大徳寺通沿いに佇む織屋建ての京町家
見た目は硬派な珈琲店
中に入るとサイフォンが並ぶカウンターと自家焙煎の香りに安らぐ
【大阪から京都へ】
見た目は硬派で、ベテランのマスターが難しい顔で黙って珈琲を飲ませてくれそうな店構えだが、一歩入ると、自家焙煎の香りに包まれながら奥のカウンターに導かれる。カウンターには昔懐かしいコーヒーサイフォンが並び、女性がお客様とゆっくりと会話しながらてきぱきと珈琲を淹れてくれる。
粉屋珈琲は、2011年8月にオープンした。店主は大阪のご出身で、この店の開業前には大阪で珈琲店に勤務していて、いつかは自分の店を持ちたいと考えていた。大阪でも検討していただが、北区か上京区の京町家で開店したいと思っていた。
そして、この店を見たときに、即決する。この京町家の存在が決め手であった。立地としてはお店には少し厳しいかと思ったが、ここに住むつもりであったので、静かで住みやすい環境ということも条件にしていたので、この物件は文句なしであった。
【店の成長】
居ぬき物件であったので、開店当初は、そのままでお店とした。途中、少しずつ手を入れたが、カウンターの配置など基本的なところはそのままである。オープン当初の3年間はお客様が少なく、マルシェなどに出店して知ってもらう取組をされていたという。ジョイントギャラリーのような店内イベントも年に一度程度は開催していた。
今では、常連の方も多く、年齢もそれなりに重ねてこられて、店の雰囲気を変えない程度にちょっとした工夫で店内の段差などの改修を行っている。
京都市の耐震診断制度を活用して耐震性能を把握されており、しっかりと維持していく意欲を持っておられる。結果は思ったよりも耐震性能があったとのこと。
自家焙煎のサイホンコーヒーと豆の販売いうスタイルは変わっていないが、カフェメニューは少しずつ変わっている。グランドメニューは変えていないが、モーニングを工夫したり、コロナ禍でご飯の定食を止めてセットメニューなどいつでも食べられるメニューやパンを増やしてきた。
豆は、ずいぶんと値上がりしてきたので、ネットなどで探して、商社や卸問屋などから適宜購入している。
【転機】
最近は、豆販売を増やしていきたいと思っているので、ずいぶんと焙煎の勉強している。今の焙煎機は5年くらい前に買い替えたもの。焙煎は難しいけれども面白いと思っていたが、焙煎機を買い替えた時期に、師匠となる人も一緒にやっている仲間もいなかったので、本を購入して一人で勉強をしていたが、行き詰まってパンパンになった。それで、全日本の珈琲焙煎のチーム戦の部門に出場した。近畿のチームに参加したが、すごく勉強になった。こんな風にやるんだと目からうろこが落ちるような経験をすることができた。人と関わって、いろんなことをやっていくことは苦手だったが、それも克服できたように思う。それで、面白くなり、3年ぐらい継続したがコロナで中断され、昨年、コロナ明けに再開されたときに、全国で一位をとることができた。勉強することがこんなに楽しいものだと初めて思った。相談できる同年齢ぐらいの仲間もできた。
【今後の展望】
基本的には、このお店や常連さんと共に年を重ねていきたいとのこと。2号店を出すというお話もいただくが、その気にならない。貪欲さに欠けるというか、2年前に家主さんからこの店を取得した時から、今のままでやっていくと決めている。商売に徹すると自分の求めているものと乖離ができて苦しくなる。違う商売を始めることも考えていない。このお店はこれで完結している。
こわもてのマスターのお店というイメージを壊したくないとは思っていた。むしろそう思ってもらった方が良い。「マスターはどこにいるんだ、いつも女の子が店にいるけど」と思ってもらっていたい。
新大宮広場ができた当時に広場で、みんなで「むらさきフェスタ」をしたことがある。参加者は、店主より若い人がほとんどであった。開業当時から考えると若い店主の自家焙煎の珈琲店がずいぶんと増えて、京都は自家焙煎の珈琲店の激戦区となっている。どんどんとおしゃれでおいしいお店が増えている。サーカスコーヒーさんが、火をつけて素敵な店が増えてきて、いいことだと思っている。商店街を外れたこんなところにというような場所に立地するお店も出てきて、ますます面白い地域になっている。
粉屋珈琲は、こうした動きの先達、核の一つとして期待される。