新大宮商店街の中に2012年3月11日に活動拠点を構えて8年目。
忙しい日々を過ごしながら自らの書を求め続け、
今、ようやく腰を据えた追求が始まる。
書道が好きな少女が書家を目指す
京都生まれの京都育ちで、小学校から高等学校まで地元の公立校に通う。その後、奈良教育大学教育学部特設教科教員養成課程(書道)という高校芸術科の書道の先生を養成するコースで学ぶ。
小学校3年生の時から鷹峯で書道を習い始める。1、2年生の担任の先生がすごく字がきれいで、手描きのプリントの文字や年賀状の筆文字に憧れ、自身も字が上手になりたいと思ったのがきっかけだった。高校で書道を選択したことで、その世界の広さと深さを知り、専門的に学ぶ決意をし、奈良教育大学に進学する。
卒業後は高校の教員にでもなろうと軽い気持ちで考えていたが、教育について学ぶほどに、そんなに安易に教員になってはいけないと感じるようになる。状況的にも京都市での教員の採用は少なくて、自分の就く仕事については、とても悩んだ。しかし、書をずっと続けていく意思は強かったので、専門的な勉強を自分で進められる程度までは力量をつけておかなければと思い、大学院に進む。大学院では、かな文字の発達についての研究と美術教育のあり方を平行して考察する中で「書を日常に生かす」という視点を持つようになる。大学院修了後は4年余の短期間ではあるが、緑茶関連の包装資材会社の企画室に勤務し、デザインにふさわしい文字を書いたり、カタログ等の編集に携わっていた。自分の書いた文字が店頭に並ぶのを見て、少しは書の日常化に貢献しているとの自負を持った。
また、アナログからデジタルの時代に移行していくデザインの現場を体験できたことは貴重な体験であった。デザインも文字を書くという行為も、手作業からパソコン操作に代わっていく流れの中で、人間がドンドン鈍感になっていくことに危惧を覚えた。これからの時代はデジタル化は否応なく進むが、その中で感覚や感性を大切にする分野がいままで以上に大切にされていくだろうという漠然とした思いも生まれた。
退社後2001年4月に京都文字美術研究所(Mojibi)を立ち上げてフリーの仕事を開始。当時は、ひらがなで「たむらゆき」と表記して活動していたが、2007年に2回目の個展をしたころから黒子の書文字家ではなく、書作家として自立したいと思うようになり、その後数年は模索の時期が続き、2012年にアトリエを構えたのを期に、アーティストネームを「玉雪(Tamayuki)」とし、世界を視野に入れて活動していける書家になるという志を立てた。(デザインの現場にいた当時手掛けたデザインの案件の中で、揮毫者の雅号の印をデザインの中に入れて欲しいというオファーがあったので、会社名から「玉」、本名の由紀を雪に変えて「玉雪」としたのが今のアーティストネームの由来である。)
自らの書を追求する
大学では京都のかな書作家の教授の研究室に籍を置き、漢字書法とかな書法を融合させた「大字かな」の作品制作をしながら、書とは何か?芸術とは?日本の美とは?を問う日々を過ごす。大学院では「かなの発達過程における『草がな』について」の私論をまとめ、それをもとに作品制作をして指導者の方々より一定の評価を得ることができた。
大学時代に多くの著名な書家や研究者に出会い影響を受けたが、特定の先生に師事しない生き方を選び、パッケージデザインや広告などに使われる文字を書く仕事ができるようになりたいと、京都の緑茶関連の包装資材メーカーに勤務、デザインの現場を数年間経験し、表現の幅を広げた。パッケージに限らず、広告などデザイン業界の中で必要とされる文字を提供していければよいかなと思っていた。必要なものがあってそれに応えるという仕事の仕方が一番やり易かった。自分の作品を書くという意識はあまりなかった。
フリーランスになってからは、作品制作とデザイン関係の依頼の仕事を平行して手掛けてきた……といったら聞こえはいいが、2人の娘の子育てが中心の生活で、細々となんとか続けてきた、という方が正確かもしれない。しかし、一方で、子育てを通して次世代に書の魅力を伝えていく使命感も感じるようになり、自然発生したこどもの教室だったが、玉雪オリジナルのメソッドを構築していくことになる。
こども書写教室は、長女が小学1年生夏から始まった。2回目の個展で長女の硬筆作品を一緒に飾っていたところ、見に来られていた娘の友達の親御さんからの要望があり、我が子に取り組ませている競書誌の課題を一緒に何枚か書くという簡単な内容で良いのであれば、ということでこっそり始めたのだが、口コミで広がり、直ぐに20人くらいに増えた。夫の実家の2階を間借りして開催していたが手狭になり、より良い環境を求めて探しているうちに、今のアトリエの物件に出会った。墨で汚れても良い古家の賃貸を探していたのに出会ったのは売物件で、初めは購入なんてとんでもないと思ったが、義父やビジネスのアドバイスをもらっていた先生などの応援もあって、2011年3月に契約し、我が城を得た。
今のアトリエでのこども書写教室は、いわゆる昔からあるお習字の教室である。これはスポーツに例えると筋トレや走り込みといった基礎体力をつけるものであり、学校で学び、文字を覚えていく過程の子供たちには必要なものである。しかし十分ではない。書は本来、ひとりひとり個性的な書風を確立することが目的なので、「実践」すなわち作品制作、あるいは日常に生かすという視点がないと片手落ちになってしまうと玉雪は考えている。
そのため月に一度は「こども文字美室」と称して、課題を与えない自由な表現の時間を設けている。絵を描いてもよし、文字を書いてもよし。または、いつもの課題の書き込みトレーニングをしてもよしである。自ら決めた課題に取り組み工夫して表現を試みることで、より実践的な力がついてきていると思う。例えば課題に書く氏名を小さく丁寧に書くことは難しいが自分の好きな絵に名前をつけて書くときは使う筆を選ぶのも墨の濃さや量もどうやったら上手く書けるか自分で考えて工夫するといった具合である。これらもこのスタンスで続けていきたい。
大人のための「楽しむ書 文字(モジ)美室(ビルーム)」は、親しくしていた近所のカフェの女性オーナーのすすめで、そのカフェをお借りして始まった。大人が楽しめる書の教室を開いて欲しいとのことだった。たまたま、最初に参加してくださった生徒さんがとても個性的な方達だったので、こちらで計画していた指導内容には添わずに、自由にのびのび取り組んでくださったこともあって、大人の方には自分でやりたいと思うことから始めてもらうスタイルになった。
今では生徒さんは大人も子供も十数人ずつくらいで、不定期の参加や出張講師先の生徒さんも入れると随分な数になる。特定の会派に属さず、自由度の高い環境にあるので、そのようなスタイルを求める人が前を通って見つけてくださったり、インターネット検索で問い合わせてくださることも増えてきた。
いずれにしても、自ら門を叩いてくださる方を受け入れる形を取っている。そのせいもあって生徒さんは皆さん熱心に取り組んでくださって嬉しい限りである。今、平日はアトリエでの「楽しむ書 文字美室」、こども書写教室と出張講師でほとんどの日がうまっている。近年、京都市内のギャラリーの企画展に参加することも増えてきてオーバーワーク気味。人生後半戦というお年頃のせいもあって、体調に黄色信号が出てきたのが悩みである。
近年メディアで注目されている個性的な書家の方々の活躍に刺激を受けながら、玉雪も独自の作品スタイルを確立すべく、子育てが一段落しつつある今から、作品制作にもエネルギーを注いでいきたいと考えている。
本拠を構え、玉雪独自の「在り方」をつくりあげていきたい!
綺麗な文字が書けるようになるには、たくさん書いて書いて書いて、、書くしかない。世阿弥も「もの数を尽くす」ということを言っているが、質は量からしか生まれないと思う。特に大人の方でいうと、書き方を教わりたいと頭で思っているうちはいくら方法を教わっても上手くなれない。習うより慣れろということである。だから、何から始めてもらっても良いので、やりたいことから自由にたくさん書いてもらっている。手入れの行き届いた道具や豊富な資料など、感覚や感情を呼び覚ましやすい環境を整えることが私の仕事である。次のステップに進まれる時に方向を迷われた時にはアドバイスもするが、赤筆で添削などはしない。
生徒さんの作品展も不定期に開催してきた。2年ぐらい前に4回目の作品展を行った。文字美の広報の一環で生徒さんたちから作品をお借りして、TAMARIBA(北大路通沿いのフリースペース)で発表するという形式をとっている。1年ぐらい前から生徒さんたちに告知をして、普段書いている作品の中から選んでいる。
話は変わるが、今の社会、学校に行きたくない、もっと言えばそもそも学校に絶対行かないといけないのかと本質的な疑問をまっすぐに大人にぶつけてくる子供たちが増えてきている。そういう子どもたちに書の体験をさせたいという要請は少なくない。丁寧に墨を磨(す)り、紙の手触りを楽しみ、筆でかく面白さにワクワクする時間は、その子の人生に何かしらの影響を与えるきっかけになるかもしれない。
近年、玉雪のアトリエを無料で開放する日を年に数回設けている。書に関心を持って始めるきっかけになればとの思いからである。(新大宮商店街のハロウィンイベントの日、年末の書納め会、年始の書初め会)
また、大人の男性の生徒さんも絶賛募集中。(夫とその友人の二人で男子書道部を立ち上げて会員増を画策中!)
この教室を持って活動をしている今が充実している。ただ、休みがないので、自分自身の作品作りに充てる時間が十分に取れないことが悩みである。その時間をとるために、ギャラリーの企画展やグループ展への出展を始めている。その回数を増やしたいが仕事が飽和状態なので、上手に調整を図りたい。そして数年後には個展を開催したいと思っている。
アトリエ内には近年の玉雪の作品が飾られている。どれもスタイルが違っているが、全部、玉雪の書である。古典の香りがする作品、詩の内容や言葉の意味に惹かれて書いた作品、文字を書かない抽象的な作品、等々。これというスタイルを定めようとは思わない。
2007年の第2回目の個展から12年経って表現のバリエーションは増えたと思う。どれも私だし、それも良いのかなと思う。私は私であり、他の誰にもなれないということを12年かけて再確認したのかなと思う。玉雪らしい書というのは理屈ではなく自然と出てくるものだと思っている。
書の魅力を多くの方々に伝えるためにオープンマインドで発信していくことと、自分の内面を見つめて掘り下げ玉雪独自の世界を書作品にしていくことの両方をバランスよく続けていけることが私の当面の課題だ。